賀蘭敏月は実在した?ドラマ「武則天」と史実の違いを解説

魏国夫人賀蘭氏 5.3 隋・唐の皇后・側室
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ドラマ「武則天」には賀蘭敏月というキャラが登場します。

武則天の姪でありながら、美貌と才能で皇帝・高宗の寵愛を受け、武則天と激しく対立する彼女の姿に、ハラハラした方も多いのではないでしょうか?

あの「賀蘭敏月」にはモデルになった人がいます。それが魏国夫人 賀蘭氏です。

この記事ではドラマ「武則天」の賀蘭敏月と、史実の魏国夫人賀蘭氏について詳しく解説。

二人の違いを知るとドラマも歴史ももっと深く楽しめるはずですよ。

 

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ドラマ「武則天」で描かれた賀蘭敏月とは

ドラマ「武則天-The Empress-」の中で賀蘭敏月は非常に重要なキャラクターとして描かれていました。主人公 武媚娘(後の武則天)の姉、韓国夫人の娘として登場します。

武媚娘にとっては姪です。祖母の栄国夫人にも可愛がられていました。彼女はとても美しく多くの人々を魅了していました。

 

武則天との複雑な関係性

ドラマの賀蘭敏月と武則天の関係は複雑でした。最初は尊敬する叔母として武媚娘を慕っていたようです。

しかし母親である韓国夫人の死に武媚娘が関わっていると疑い、これが強い復讐心へと繋がっていきました。そして彼女は武媚娘を「敵」とみなすようになります。

さらに皇帝・高宗の寵愛を争う「情敵」という側面も加わり、親族でありながらも激しい対立関係となっていきましたね。

皇帝 高宗からの寵愛と宮廷での立場

栄国夫人の外孫女として宮廷に入った賀蘭敏月は、その美しさ皇帝・高宗の目に留まります。

高宗からの寵愛を受けるようになり、宮廷内で特別な存在となっていきました。後に魏国夫人になります。合璧宮で過ごす様子も描かれていましたね。

皇子たちとの関わり

ドラマでは、高宗の息子たちである李弘(りこう)や李賢(りけん)、李顯(りけん)、李旦(りたん)といった皇子たちとの関わりも描かれています。

賀蘭敏月は彼らにとって母方の従妹(表妹)にあたりますが、高宗の側室となったことで「庶母」という立場にもなりました。

特に、皇太子である李弘は賀蘭敏月に心を寄せる描写がありましたね。でも、ドラマでは衝撃的な展開として、李賢と共謀して李弘を毒殺しようとするシーンも描かれました。

武則天への復讐計画とその失敗

母親の仇として武則天への復讐を誓った賀蘭敏月は、様々な策略を巡らせます。

武媚娘に「願來長安,絕不後悔(長安に来ても、決して後悔しません)」と答え強い決意を現していました。

宮中では母親が残したという紫色の玉鐲(ぎょくしょく)を利用して武媚娘を陥れようとしたり、武媚娘に献上されるお茶に毒を仕込んだり(毒茶葉)と具体的な行動に出ることもありましたね。

でも彼女の策略は武媚娘に見抜かれてしまいます。

悲劇的な最期

ドラマ「武則天」での賀蘭敏月の最期は非常に印象的で悲劇的でした。

武媚娘の策略を見抜かれ、逆に武媚娘から毒が盛られたお茶を差し出されます。

かつて自身が口にした「願來長安,絕不後悔」という言葉を武媚娘に問われながら、その毒茶を飲み干し命を落とすという壮絶な結末でした。

 

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史実の魏国夫人 賀蘭氏とは

賀蘭敏月には史実上のモデルになった人物がいます。

それが魏国夫人 賀蘭氏(ぎこくふじん がらんし)です。彼女は確かに唐の時代に実在した人物です。

賀蘭氏の家系と名前

史実の魏国夫人賀蘭氏の本名は、残念ながら歴史書には記されていません。ドラマの「賀蘭敏月」という名前はドラマのために作られた名前です。

彼女は父を賀蘭安石、母を韓国夫人 武順といいます。母の武順は武則天のにあたります。魏国夫人賀蘭氏は、武則天の姪(姉の娘)なのです。

祖母(武則天の母)は栄国夫人楊氏。史書によれば賀蘭氏は非常に美しい女性で「国姝(こくしゅ)」、つまり国一番の美女と称されるほどの容姿を持っていたと伝えられています。

 

高宗からの寵愛と武則天の警戒

魏国夫人となった賀蘭氏は、その美しさ若さから皇帝・高宗の深い寵愛を受けるようになります。

高宗は彼女を非常に気に入って妃嬪(ひひん)として正式な地位を与えようと考えるほどでした。

でも武則天は姪の賀蘭氏が高宗の寵愛を独占して自分の立場を脅かす存在になるのを強く警戒したと言われています。

武則天の強い嫉妬や影響力もあり、結局は賀蘭氏が正式な妃嬪になることはありませんでした。

でも高宗からの寵愛は続き彼女は宮廷内で特別な存在となっていきます。

史実における悲劇的な死

史実によると魏国夫人賀蘭氏に悲劇が訪れたのは、唐の高宗が泰山で封禅の儀式を行った後の乾封元年(666年)9月のことでした。

高宗が武則天の母である楊氏(栄国夫人)のもとを訪れたとき、武則天の母方の従兄弟にあたる武惟良(ぶいりょう)と武懷運(ぶかいうん)が食事を献上しました。

この時、武則天はその食事に毒を仕込み賀蘭氏に食べさせたのです。食事をした賀蘭氏はその場で亡くなってしまいました。

武則天はこの毒殺の罪を武惟良と武懷運に着せました。彼らは以前から武則天に不満を持っていたとされており、武則天は彼らを陥れるためにこの機会を利用したようです。

高宗は賀蘭氏の死を非常に悲しみ、手厚く葬儀を行ったと記録されています。

賀蘭氏の兄弟である賀蘭敏之(がらん びんし)は、妹の死に疑問を持ち武則天に不満を抱いたようですが、後に武則天によって別の罪を着せられ貶められてしまいます。

魏国夫人の墓

魏国夫人賀蘭氏は後に順陵(じゅんりょう)に陪葬(ばいそう)されました。

これは皇族やそれに準ずる人物が皇帝の陵墓の近くに葬られることを意味します。

史実の魏国夫人はその美貌で高宗に寵愛されますが、武則天の嫉妬を買って悲劇的な死を迎えてしまいます。

ドラマに登場する賀蘭敏月は、この史実の魏国夫人をモデルにしているのです。

 

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ドラマと史実を徹底比較!賀蘭敏月と魏国夫人の違い

ここまでドラマ「武則天」の賀蘭敏月と史実の魏国夫人賀蘭氏について見てきました。

両者の違いを分かりやすくまとめてみましょう。

 

  ドラマ「武則天」の賀蘭敏月 史実の魏国夫人 賀蘭氏
名前 賀蘭敏月(ドラマ上の創作名) 本名不明(歴史書に記載なし)
入宮時期 祖母・栄国夫人逝去後、武媚娘の計らいで入宮 母親・韓国夫人と共に以前から宮廷に出入りしていた
復讐心 母親の死は武媚娘のせいと考え、強い復讐心を持つ(ドラマの大きな動機) そのような明確な記録はない
皇子との関係 李弘と恋愛関係、李賢と共謀して李弘を毒殺(ドラマオリジナルの設定) 高宗の側室として庶母の立場にはなったが、皇子との具体的な関係性は不明
最期 武媚娘に毒殺計画を見抜かれ、逆に武媚娘から毒茶を賜り死亡 武則天によって食事に毒を盛られ死亡

 

名前と実在性

まず最も大きな違いは名前ですね。ドラマの「賀蘭敏月」は架空の名前です。史実の魏国夫人賀蘭氏の本名は分かっていません。

ドラマは史実の人物をモデルに物語を作る上で新しい名前を与えたのです。

入宮時期と経緯の違い

ドラマでは祖母の栄国夫人が亡くなった後に武媚娘の計らいで宮廷に入りました。

でも史実では母親の韓国夫人が宮廷に出入りしていたころから、賀蘭氏も一緒に宮廷に上がっていたと考えられています。

 

武則天への復讐心の有無

ドラマでは賀蘭敏月は武則天に強い復讐心を持っています。これは史実には見られない描写です。

史実の賀蘭氏が伯母にどのような感情をもっていたのかはわかりません。武則天が殺したいと思うほどなので、あまり仲がよくなかったのかもしれませんが。ドラマのように賀蘭氏が武則天を陥れようと画策したという記録はありません。

皇子たちとの関係性の違い

ドラマで描かれた李弘との恋愛関係や、李賢との共謀による李弘毒殺計画はドラマオリジナルのフィクションです。史実では魏国夫人賀蘭氏が皇子たちの権力争いに直接的に関わったり、毒殺を企てたりしたという記録はありません。

最期の状況の違い

最期を迎える状況も大きく異なります。史実では武則天が用意した食事に毒を仕込まれ、それを食べた賀蘭氏が亡くなったとされています。

ドラマでは賀蘭敏月が武媚娘を毒殺しようとして失敗し、武媚娘から毒茶を渡されて飲まされるというよりドラマチックな演出になっていました。

 

なぜドラマは史実と違う「賀蘭敏月」を描いたの?

歴史ドラマが史実と異なる描写をすることは珍しくありません。

ドラマ「武則天」が史実の魏国夫人をモデルにしつつ、「賀蘭敏月」というキャラクターに多くの脚色を盛り込んだのには、いくつかの理由が考えられます。

主人公 武則天の描き方と物語の都合

ドラマは武則天が主人公です。ヒロインの武則天を悪人として描くわけにはいきません。彼女がなぜ権力を握り、厳しい決断を下したのか、その背景にある葛藤や人間的な側面も描く必要があります。

史実では武則天が姪の賀蘭氏を毒殺したとされています。この事実をそのまま描くとヒロインである武則天のイメージが悪くなりすぎて視聴者が感情移入しにくくなります。

そこでドラマでは賀蘭敏月に「武則天への復讐心」や「高宗を誘惑」といったわかりやすい動機や行動を与えました。

これで武則天が賀蘭敏月を排除するのを正当化できます。

賀蘭敏月を強くて悪い存在として描くことで、武則天の行為に納得感を持たせ武則天の決断が単なる悪意ではなく自分を守るための必要な手段だったと視聴者に思わせようとしたのでしょう。

物語を面白くするための脚色

もう一つの理由は、物語として面白くするためのアレンジでしょう。

歴史上の魏国夫人の武則天の姪ですが人生は短いです。でも高宗に気に入られ、武則天に妬まれて、悲しい死を迎ます。これはドラマの材料としてとても魅力的です。

ドラマではこの要素を最大限に生かすために、賀蘭敏月に強い復讐心を持たせて武則天と激しく対立させました。

これでドラマに緊張感が生まれ、見る人を楽しませることができます。

 

まとめ

この記事では、ドラマ「武則天」に登場する賀蘭敏月は実在するのか、という疑問から始まり、史実の魏国夫人賀蘭氏の紹介。ドラマと史実の違いについて解説しました。

ドラマの「賀蘭敏月」にはモデルとなった実在の人物、魏国夫人賀蘭氏がいました。

史実の魏国夫人はその美貌で高宗に寵愛されますが、武則天の嫉妬を買って悲劇的な死を迎えた女性でした。

ドラマはこの史実を基に賀蘭敏月というキャラクターに強い復讐心といった架空の要素を加え、物語をよりドラマチックに描いています。

李弘毒殺の共謀や武媚娘との毒茶での直接対決などは、ドラマオリジナルの展開でしたね。

ドラマで描かれる登場人物の行動や感情の背景に実際の歴史上の出来事や人間関係があったのだと考えると、さらに興味深く感じられるのではないでしょうか。

 

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