奇皇后のタファンは実在した?ドラマと史実の違いを徹底解説

元・モンゴル
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韓国ドラマ『奇皇后』。その中でひときわ存在感を放っていたのが皇帝タファンでした。どこか憂いを帯びた表情や、物語が進むにつれて見せる変化に心を惹かれた方もいたのではないでしょうか。

『もしかして、タファンって本当に歴史上の人物なの?』そんな風に思われた方もいるかもしれませんね。

この記事では、その疑問にお答えするためにタファンという人物が実際に存在したのかどうか、そしてドラマで描かれた姿と史実にはどのような違いがあるのかを紹介します。

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1. ドラマ「奇皇后」のタファン

「奇皇后」のイメージ(出典:楽天市場)

「奇皇后」のイメージ(出典:楽天市場)

「タファン」は頼りない皇子

「ドラマ『奇皇后』では、タファンは物語の序盤、頼りなく、周囲に翻弄されるような皇帝として描かれています。でも彼の中には燃えるような怒りと悲しみが渦巻いていました

物語が進むにつれて彼は様々な困難を経験、愛する人を守るために、徐々に強く成長していく姿を見せてくれます。

スンニャンとの出会い

特にヒロイン・スンニャン(後の奇皇后)との出会いは、タファンにとって大きな転機となります。当初は敵対関係にあった二人ですが、様々な出来事を乗り越える中で、深い愛情で結ばれていきます。二人が困難を乗り越え、ついに結婚に至るまでの道のりは、ドラマの大きな感動ポイントの一つと言えるでしょう。

タファンの正室と側室

現実のトゴン・テムルには多くの側室がいました。

ドラマの中でもタファンには何人かの正室・側室が登場します。後に三番目の皇后になるスンニャンも側室の一人でした。

ドラマではスンニャン以外には次の正室・側室が登場しました。

  • タナシルリ
    (演:ペク・ジニ)
    正妻、最初の皇后。実力者ヨンチョルの娘。
    モデルは皇后ダナシリ。

  • バヤンフト
    (演:イム・ジュウン)
    正妻、二人目の皇后。ペガンの姪。
    モデルは二人目の皇后バヤン・クトゥク

  • ウヒ
    (演:パク・ハナ)
    モデルはモンゴル人側室で後の第四皇后ムナシリ。

  • パク・オジン
    (演:ハン・ヘリン)
    側室。高麗出身の元の女官。

  • オ・ソルファ
    (演:チョン・セヒョン)
    側室。漢人。

でも彼の心を真に捉えたのは、やはりスンニャンただ一人だったと言えるでしょう。二人の間には、息子であるアユルシリダラが誕生し、彼の存在は、タファンが皇帝として、そして

父親として成長していく上で重要な役割を果たします。

タファンの死

物語の終盤。タファンは病に倒れます。政敵は倒したものの、元の国は反乱軍により危機に瀕していました。タルタルが討伐に向かいますが行方不明。奇皇后はタファンを気遣ってタルタルが勝ったと嘘をいうものの、タファンには分かっていました。そして奇皇后に看取られながら死を迎えます。

 

「むかつく」「かわいい」様々な声のあるタファン

ドラマ『奇皇后』では、タファンは物語の序盤、頼りなくどこか臆病で迷惑ばかりかけている、いいところのない皇子として描かれていました。

そんな彼の姿を見て『むかつく』とか『嫌い』と感じた視聴者の方もいるかもしれません。

でも、その一方で時折見せる戸惑いやスンニャンに対する一途な想いなどには『かわいい』と感じた方もいるのではないでしょうか。

かと思えば皇帝になってからは狂気的なところも見せる。

掴みどころのないそういったところもタファンの魅力かもしれません。

キャスト:チ・チャンウク

ドラマでタファンを演じたのは、韓国の人気俳優チ・チャンウク(1987年7月5日生まれ)さんです。

ドラマ「ペク・ドンス」では主役のペク・ドンスを演じて好評でした。

彼の繊細な演技がタファンというキャラクターに深みを与えていました。嫌われキャラになりかねないタファンを愛されキャラにしたのも彼の演技力のおかげでしょう。

声優:勝杏里

日本語吹き替え版では、声優の勝杏里(かつ あんり、1977年7月3日生まれ)さんがタファンの声を担当。その独特な声質がキャラクターをより魅力的にしていました。

様々なアニメ・ドラマ映画の吹き替えを担当。
ドラマ「ペク・ドンス」ではペク・ドンスの声も担当しています。

 

では次にドラマ「奇皇后」のタファンのモデルになった人物を紹介しましょう。

 

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2. タファンは実在する?モデルは?

タファンのモデルは恵宗トゴン・テムル

ドラマ『奇皇后』のタファンのモデルは元の第11代皇帝 トゴン・テムルです。「恵宗」「順帝」とも呼ばれます。在位期間は1333年から1370年までの間でした。

ドラマ『奇皇后』で皇帝の名前が『タファン』になっているのは、彼の本名『トゴン・テムル』の漢字表記「妥懽貼睦爾1)に由来します。

この漢字表記を現代韓国語で読むと『タファン・チョムギ』に近い発音になります。ドラマではこの長い名前を略して『タファン』と呼んでいるのです。」

史実のトゴン・テムルの生涯

元恵宗 トゴン・テムルの肖像画

元恵宗 トゴン・テムルの肖像画

出典:wikipedia:元順帝

皇位争いに巻き込まれた少年時代

元の第11代皇帝トゴン・テムル(妥懽帖睦爾)は、1320年に生まれました。

当時の元は強大な武力をもつ軍閥が権力を握り。皇位継承も軍閥の思いのままになっていました。

父は明宗コシラ、叔父に文宗 トク・テムルを持つ皇族でしたが政争に巻き込まれて幼少期は高麗に追放されたり広西に流されたりと流浪の生活を送ります。

その後、皇位を巡る争いがあり明宗の子・トゴン・テムルを推す皇太后ブダシリと文宗の子・エル・テグスを推す軍閥出身の丞相エル・テムルが対立。

1332年。文宗の死後、元に呼び戻されましたがエル・テムルの反対で即位できませんでした。

傀儡皇帝としてスタート

1333年。エル・テムルの死後。わずか13歳で皇帝に即位しますが、実権は丞相のバヤンら有力な臣下に握られ傀儡皇帝としてのスタートを切りました。

エル・テムルの死後もバヤンの死後、軍閥で力を付けバヤンらが権力を握り、朝廷内での権力闘争は続き政治は不安定でした。

トクトとともにバヤンを倒す

成人したエル・テムルはバヤンの甥ながら彼に反感をもっていたトクトと協力。政変を起こしてバヤンを追放。ようやく自ら政治を行うことができるようになりました。

高麗出身の奇皇后を寵愛

そのような中、高麗出身の貢女として入宮した奇皇后がトゴン・テムルの寵愛を受け次第に政治的な影響力を強めていきました。

彼女は皇子アユルシリダラを産み、1359年に皇后となりました。

相次ぐ反乱

元朝末期、中央では権力争いが続き。各地では災害が多発。民の心は朝廷から離れて国内各地で反乱が発生していました。

特に最大規模の反乱である紅巾の乱は元を脅かしました。さらに各地で自立的な勢力が台頭し、元の支配は揺らいでいきました。

政治から遠ざかる

やがて政治に興味を失ったタファン自身は政治の実権を側近や奇皇后・息子で成人したアユルシリダラに委ねることが多く。自身は文化的活動や宗教(特にチベット仏教)に没頭するようになりました。

中国を手放しモンゴルに戻る

1368年。朱元璋の命を受けた軍が都の大都(現在の北京)を陥落させ、トゴン・テムルはモンゴル高原の応昌へと逃れます。

その後も元は続きますが、中国の支配は手放すことになります。

1370年。トゴン・テムルは応昌で亡くなり、息子のアユルシリダラが後を継ぎました。

彼の死後、元はさらに衰退の一途を辿ることになります。

 

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3. 史実とドラマのタファンの違い

政敵との争い

強大な敵・ヨンチョル

ドラマでは重臣のヨンチョルが強力な敵として立ちはだかります。強力な力を持ち歴代の皇帝を次々と挿げ替えてきました。タファンが皇帝になった後も対立。最終的に決起したタファンたちによって倒されました。

ヨンチョルのモデルになったのはエル・テムル。軍閥のトップでドラマ同様に強力な力をもち皇帝の即位を左右してきました。トゴン・テムルの即位にも反対していました。史実ではエル・テムルの死後、トゴン・テムルが即位しています。ドラマと違い直接対決はありませんでした。

ヨンチョル

ドラマではヨンチョルの死後、ペガンが敵となります。ドラマではヨンチョルに仕える武人。やがてヨンチョルを裏切りタファンの決起を助け、ヨンチョル打倒に協力しました。その後、丞相となったペガンは横暴となり甥のタルタルに討たれます。

ペガンのモデルになったのはバヤン。史実でも軍閥出身ですが。エル・テムルの死後に力を付け、エル・テムルの息子たちと対立。軍閥の頂点に立ちました。

ドラマのようにヨンチョル(エル・テムル)打倒を助けたわけではありません。

コルタは架空

ドラマでは側近のコルタが最後の敵として登場しますが。コルタは架空です。

 

奇皇后との関係

ドラマではタファンはスンニャンとの強い愛によって成長していく姿が描かれています。

史実ではトゴン・テムルと奇皇后の関係はドラマのようなお互いを支え合う関係ではありません。主従関係からはじまりました。

史実では元の宮廷に入った奇皇后は宮女として宮廷に仕え、美人で頭がよく従順だったで皇帝のお世話をする宮女になり。トゴン・テムルの寵愛をうけて側室になりました。その後も皇帝の寵愛を背景に政治的な影響力を強めていったと言われています。

ドラマ「奇皇后」のタファンの息子

ドラマではタファンとスンニャン(奇皇后)の間に息子のアユルシリダラが誕生します。

史実におけるタファンの息子

史実でもタファン(トゴン・テムル)と奇皇后の間には、アユルシリダラ(Ayushiridara、漢字表記:愛猷識理答臘)という息子がいました。

彼は1359年に皇太子になりタファンの死後、元の第12代皇帝 昭宗として即位します。

ドラマと史実の違い

ドラマではアユルシリダラはタファンとスンニャンの子供としかえがかれず。あまりストーリーには関わってきません。

史実ではアユルシリダラの存在が非常に大きく、トゴン・テムルに見切りをつけた奇皇后がアユルシリダラを即位させようと暗躍。臣下もトゴン・テムル派とアユルシリダラ派に分かれて内乱状態になります。

大都を失った後、父の後を継いで皇帝となり元の再建を目指すのは同じですが。史実では皇太子時代から政治力を持ち、父と対立するような場面もありました。

 

タファンの性格

タファンの性格は脚色されているようです。史実では政治よりも文化や宗教に関心を持ち、酒色に溺れることもあったとされています。ドラマのような劇的な成長や変化があったかどうかは定かではありません。

反乱の描かれ方

ドラマではドラマ終盤に国内で反乱が怒ります。でもどんな人達が反乱を起こしたのかは詳しく描かれません。

史実ではタファンの治世は決して安定したものではなく。まず、紅巾の乱が起こり。やがて紅巾軍の中から登場した朱元璋が漢人勢力を統一。元の都・大都を占領。トゴン・テムルは大都を捨ててモンゴル高原に逃れました。

 

4. なぜドラマと史実には違いがあるの?

ドラマは史実をベースにしていますが、視聴者を楽しませるためのエンタメ作品として制作されています。そのため登場人物の性格や人間関係、物語の展開などが史実とは違う形で描かれることがあります。

特に恋愛要素や主人公の成長物語はドラマを盛り上げるための重要な要素となります。

『奇皇后』もスンニャンという一人の女性の波乱の生涯を描くために、タファンとのロマンスは欠かせない要素となりました。

 

5. まとめ

この記事では韓国ドラマ『奇皇后』に登場する皇帝タファン(妥懽帖睦爾)が、実際に歴史上に存在した人物だったことを紹介しました。

ドラマでは奇皇后とのロマンスを中心に、彼の成長が描かれていました。でも史実では政治的な苦悩や社会不安の中で生きた皇帝だったと言えます。

ドラマと史実の違いを知ることで『奇皇后』という物語をより深く楽しむことができるのではないでしょうか。

 

参考文献

1) 『元史·順帝紀』

 

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